その 3

私と旦那、二人で二度めの里帰りをしたのは 1999年の秋です。
彼は26歳で、この時彼は仕事をしていませんでした。 旦那と
私が里帰りで滞在していた10日ほどの間、彼はほとんど部屋に
こもりっきりでした。

なぜこの時彼に仕事がなかったか、私は知りません。 会社縮小で
リストラされたか、会社自体つぶれたか、それとも彼が辞めたか。
この会社か、もしくは、もう一つ前の会社で働いていた時、上司から
“こんな簡単な事もできないのか?” というような事を言われて、
ショックだったと言っていました。
もちろん詳しい状況は私にはわかりません。

今、思えば、この頃からひきこもり的症状が出始めていたと思います。

その後しばらく、失業保険をもらったり、小さな畳屋のような所で働
いたりしていたと思います。 この時も、仕事を選ぶ基準はなるべく
人と接触のないものだったようです。

そんなこんなで、仕事があったり、なかったりの日々が続きました。
仕事がなかった時期のほうが長いと思いますが。

ある日、母からの電話で弟が働きだしたという連絡がありました。
仕事は、ちょっと離れた、でも自転車で通える距離の工場だそうです。
その工場での仕事は結構充実していたものだったと記憶しています。

不思議なことは、彼は仕事があると、休まずしっかり働きに行く事です。
雨が降ると、カッパを着て自転車をこぎ出勤です。 この頃はある程度の
収入もあるし、実家に毎月数万円を入れていたり、母にとっては
頼もしくなったという感があったでしょう。

友達も何人かいたようでした。 仕事が終わると会社の仲間と飲みに
行ったり、メール交換をする相手がいたり。

自分で自由になるお金ができると、夜は外食をしたり、週末は
おかしをぼりぼり食べたり。 母曰く、この頃彼の部屋には、ポテトチップ
スの空き袋や、缶コーヒー、コンビニ弁当の器、などなどごみがごろごろ
していたそうです。 もちろん、たばこも吸っていました。

実家で暮らしていたわけですが、彼の食生活はかなり乱れていたと
思います。

ある日、彼は家にいて鼻血がでて、それが止まらなかったことがあり
ました。 テイッシュをあてたりしておさまりました。

しばらくして、また同じことが起こりました。 今度は近くの診療所へ
行き、診てもらったところ、とりあえずの止血薬をもらっておさまり
ました。

しばらくして、またです。 原因のわからない診療所の先生は、近くの
大きめの病院で検査してもらうよう指示しました。

大きい病院へ検査に行くと、血小板の異常減少で、その場で即入院と
なりました。


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